渡辺 徹(ワタナベ トオル)←本名・芸能人と同じ名前。

 

生まれてから学生生活を終えるまで
1982年(昭和57年)宮城県岩沼市に生まれる。小学校3年〜中学校3年までは少年剣士(初段止まり)。
宮城県仙台第一高等学校に入学後は音楽活動ばかりをやっていた。
高校3年時、大学受験のタイミングで複数受験して、たまたま引っ掛かったのが隣県の国立大と中期日程でしかも地方受験が可能だった高崎経済大学。
「関東に行ける」&「好きなギタリスト(布袋さん)の出身地だから」というこれ以上説明はいらない理由で後者を選択。合格後に家を決めに初めて高崎に行った時「北関東は関東だが、東北人がイメージする関東ではないこと」を痛感。と同時に入学案内パンフレットの巧妙な写真テクの凄さを味わう(パンフレットは大事)
地方受験ができて、しかも試験は1教科入試ができる変わった大学だったため、全国各地の文系理系問わず、いろんな理由で集まる仲間たちとの日々は楽しく過ぎた。
バンドの先輩に誘われて、経営戦略・ベンチャービジネス論のゼミに入り、論文も書いた(起業家育成に関するもの[チーム]と中小製造業のポジショニング[個人:卒論])
このゼミでの活動時に触れ合った高崎の経営者の方々からの影響が後の人生において大きなものになった。(でも、当時は「起業なんて絶対しない」と思ってた)
音楽と酒三昧の生活。プロになった仲間もいる(もちろん、音楽のプロ)。
就職活動をどうするか考えた時に、自分は小さな組織で動けるのがいいな、と中小企業ばかりを受験。
業界は特に絞らなかったが、いつの間にかエントリーする会社は求人広告系企業が多くなっていた。
その中でも高崎にある就職情報会社から内定をいただき、入社を決めることに。
(会社訪問時に寝坊して、叱られ、それでも図々しく再訪問のチャンスをいただくことでやっとこ入社)

会社員生活
就職したのは広告の営業職。入社するまで営業がどんな仕事かをよく分かっていなかった。入社後数日で飛び込み営業スタート。小規模の広告会社は何でも売る。最初は不動産の折込チラシの枠売りから。1枠25,000円だったかな。上司に手伝ってもらった最初の受注は今でも忘れられない。

販促系のチラシから、看板、ホームページなどいろいろ商材はあった。その中でも一番営業をしていて楽しかったのが「求人広告」。新卒採用のための広告と、合同説明会へのブース出展、関連するパンフレットやホームページを提案するシゴトはクライアントの採用をトータルでサポートすることになるので、本当にやりがいを感じた。折しも団塊の世代の退職に伴なう売り手市場が重なり、売上も上がって充実度MAX。

2007年の1月。自社が企画する合同説明会に招いた「キャリアコンサルタント」の講演を聞き、衝撃を受ける。
なんて素敵なシゴトなんだ!自分もこのシゴトがしたい!
それは少年が野球選手に憧れを抱く感覚に近かった。いつかこのシゴトをしよう。そのためには何をすればいいかをいろいろと調べた。そのうち、社内でも小さい規模の合同説明会でセミナーを任せてもらえることになり、講師デビューを飾る。

2008年末、シゴトは好きだったが、地元に戻ることを決意。仙台にUターンし、転職することに。やるなら好きな新卒採用のシゴトがしたいなと思い、探したものの、当時はリーマンショック直後でどこも採用手控えモード。なんとか滑り込んだのが地元の出版社。

つづく